文豪シェイクスピアも?知られざる「遺言状に残した意外な一言」
世界に名を轟かせた文豪の、知られざるプライベート
「ロミオとジュリエット」「ハムレット」など、数々の不朽の名作を生み出し、英文学史上最高の劇作家として世界に名を轟かせるウィリアム・シェイクスピア。彼の作品やその影響力については多くの人がご存知かと思います。しかし、その偉大な業績の陰に隠された、シェイクスピア自身の人間的な側面、特に彼のプライベートな生活については、意外と知られていないことが多いのではないでしょうか。
劇作家として成功を収め、豊かな財産を築いたシェイクスピアですが、彼がこの世を去る際に残した「遺言状」の中に、後世の人々を大いに悩ませることになる、ある「意外な一言」が記されていました。それは、彼の妻であるアン・ハサウェイに関する記述です。
妻アン・ハサウェイに遺した「セカンド・ベスト・ベッド」
シェイクスピアの妻アン・ハサウェイは、彼より8歳年上でした。二人はシェイクスピアが18歳、アンが26歳の時に結婚します。結婚前にアンは妊娠しており、いわゆる「できちゃった結婚」だったとされています。シェイクスピアは故郷ストラトフォード・アポン・エイヴォンを離れ、劇作家として成功を掴むためにロンドンで活動するようになります。アンは子供たちと共にストラトフォードに残ることが多く、二人が共に過ごす時間は限られていたと考えられています。
さて、問題の遺言状です。シェイクスピアは晩年、ロンドンでの活動から引退し、故郷に戻って裕福な余生を送ったとされています。そして1616年に亡くなりますが、その遺言状には、家族や親戚、友人、さらには同僚の俳優たちへの遺産分与が細かく記されていました。彼の築いた財産は、当時の感覚ではかなりの額でした。
しかし、彼の妻アン・ハサウェイへの記述は、非常に簡潔なものでした。他の相続人に家や土地、動産などが具体的に指定されている中で、アンに残されたのは「私のセカンド・ベスト・ベッド(my second-best bed)とその家具一切」という一文だけだったのです。
なぜ「最高のベッド」ではなかったのか?諸説が語る人間関係の深層
この「セカンド・ベスト・ベッド」という記述は、後世の研究者や読者の間で様々な憶測を呼びました。「最高のベッド」ではなく「二番目に良いベッド」を妻に残すとは、どういうことなのか。シェイクスピアは妻との関係が悪かったのではないか、愛情がなかったのではないか、といった疑問が浮上したのです。
これにはいくつかの解釈があります。
一つ目の説は、文字通り「二番目に良いベッド」であり、シェイクスピアが妻に対して冷淡だった、あるいは夫婦仲が良くなかったというものです。当時の遺言状では、妻は夫の財産の3分の1を受け取ることが一般的だったため、ベッド一つだけというのは確かに少なく見えます。長年の別居生活が、二人の関係に溝を作っていたのかもしれません。
しかし、これとは異なる説もあります。二つ目の説は、当時の慣習において、最も良いベッドは客間などに置かれ、客人に使わせるためのものであり、セカンド・ベスト・ベッドこそが夫婦が共に寝起きする、個人的で思い入れのあるベッドだったというものです。もしそうであれば、これはむしろ妻への愛情を示す、特別な贈り物だったと解釈できます。シェイクスピアは妻のために、形見として最も個人的な品を残したのかもしれません。
さらに三つ目の説として、遺言状が作成された時点ですでに妻アンには法的に保障された権利(ドワーと呼ばれる、夫の財産の一部を生涯使用できる権利)があったため、改めて遺言状で多くのものを指定する必要がなかった、という現実的な見方もあります。ベッドは、その法定権利に加えて、個人的な思いから付け加えられたものかもしれない、という考え方です。
偉人の「意外な一言」が示す、人間関係の複雑さ
結局のところ、シェイクスピアがなぜ「セカンド・ベスト・ベッド」を妻に残したのか、その真意は彼自身にしか分かりません。史料が限られているため、彼とアン・ハサウェイの夫婦関係が実際どのようなものだったのかを断定することは困難です。
しかし、この遺言状のたった一言は、私たちに様々な想像を掻き立てさせます。世界的な文豪として神格化されがちなシェイクスピアも、私たちと同じように、家族との関係や夫婦のあり方について、悩みや複雑な思いを抱えていたのかもしれません。彼が作品の中で描いた人間の感情の深さは、自身の人生経験に裏打ちされたものだったのかもしれない。そんな人間味あふれる一面を、この「意外な一言」は垣間見せてくれているのではないでしょうか。
遺言状に残されたベッドは、シェイクスピアと妻アン・ハサウェイの間の、誰にも知り得ない秘密の象徴として、今も静かにそこに存在しているのかもしれません。