天才科学者ニュートンもまさか? 知られざる「錬金術と奇妙な偏屈」な人生
「万有引力」だけじゃない、アイザック・ニュートンの知られざる素顔
アイザック・ニュートンといえば、木から落ちるリンゴを見て万有引力を発見し、近代科学の基礎を築いた不世出の天才というイメージが一般的です。彼の業績は疑いようもなく偉大で、教科書でその名前を知らない人はいないでしょう。しかし、私たちの知る「科学の父」ニュートンには、教科書にはあまり書かれていない、驚くほど人間的で、時に奇妙に映る一面があったことをご存知でしょうか。
彼は決して、常に冷静沈着で合理的なだけの人物ではありませんでした。むしろ、極めて内向的で社交性がなく、激しい気性と並外れた探求心を併せ持った、複雑な人物だったのです。特に彼の人生を語る上で欠かせないのが、彼が科学と並行して、あるいはそれ以上に情熱を注いだある分野、それは「錬金術」でした。
科学の巨人がなぜ? 錬金術への異常な傾倒
現代の感覚からすれば、錬金術は非科学的で神秘的なものに思えるかもしれません。しかし、ニュートンが生きた17世紀においては、科学と錬金術の境界はまだ曖昧でした。多くの科学者が物質の根源を探る手段として錬金術的な実験を行っており、ニュートンも例外ではありませんでした。
ただ、ニュートンの錬金術への傾倒は尋常ではありませんでした。彼は生涯にわたり、膨大な時間を錬金術の研究に費やし、数百万語にも及ぶ手稿を残しています。その中には、卑金属を金に変える試みや、「賢者の石」を探求する記述が記されています。彼は水銀やその他の危険な物質を扱い、文字通り命を削るような実験に没頭しました。実際に、晩年の彼の健康問題は、長年の水銀中毒による影響だったのではないかと指摘する研究者もいるほどです。
なぜ、あの合理的なニュートンがそこまで錬金術に魅了されたのでしょうか。一説には、彼は単に金を作りたかったのではなく、物質の変容を通じて宇宙の根源的な法則や神の意志を理解しようとしていたとも言われています。錬金術は彼にとって、自然界の深遠な秘密を探るための、もう一つの重要な探求手段だったのかもしれません。
奇妙な性格と、孤独な大学生活
ニュートンの人間的な側面は、その性格にも色濃く表れています。彼は極度に内向的で、人付き合いを好みませんでした。ケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジでの生活は、ほとんど研究と瞑想に費やされ、食事や睡眠さえ忘れがちだったと伝えられています。彼の部屋は散らかっており、実験器具や書物が乱雑に積まれていたそうです。
また、彼は非常に論争好きで、自説に異論を唱える者に対しては容赦がありませんでした。特に、ドイツの哲学者ライプニッツとの微積分に関する優先権争いは有名で、激しい応酬を繰り広げました。自らの発見や研究成果を非常に秘匿したがる性質もあり、その秘密主義は彼の研究を追跡する後の歴史家たちを大いに悩ませることになります。
このような偏屈で孤独な性格は、彼の天才的な思考の深さの裏返しだったのかもしれません。しかし、友人との交流や他者との協力よりも、自身の内面や探求対象に深く没頭することを優先した彼の姿からは、ある種の不器用さや人間的な孤立が感じられます。
天才の裏側にあった人間的な悩みと情熱
錬金術への情熱、そして奇妙なまでに偏屈な性格。これらは、「万有引力の発見者」という輝かしい肩書きだけでは見えてこない、アイザック・ニュートンの知られざる素顔です。彼は確かに歴史を変えるほど偉大な科学者でしたが、同時に、当時の常識に捉われない探求に没頭し、人間関係に不器用で、内的な孤独を抱えた一人の人間でした。
晩年には王立造幣局長官として、偽造通貨犯を情け容赦なく追い詰めるなど、科学者とはまた異なる厳格で執拗な一面も見せています。こうした多様なエピソードを知ることで、ニュートンの人間像はより一層奥行きを持ち、教科書の中の偉人ではない、生身の人間としての魅力を感じることができるのではないでしょうか。彼の奇妙な探求と偏屈さは、天才ゆえの苦悩や情熱の表れだったのかもしれません。